神明神社
祭神
天照大神、国常立命
由緒
社伝は明確ではありませんが、元禄の頃(1688~1704)の覚書に
屋敷城の跡、是は坪内了彌と申す士が居住し、その子の坪内新兵衛という人が長島の城へ引っ越した。その跡に、大島彌右エ門という者が神明を勧進して仕えた。
神明二社(四尺四面)、社地(東西三十間、南北二十七間)竹森
祭礼、九月十六日
神楽湯立仕候、右の屋敷城跡
春日井群出川村 庄や 彌右エ門
とあります。上記に言う大島彌右エ門は天正年中の社職であり、この時代に現地へ社殿を遷座したものと思われます。それ以前は出川字花の木為朝の地に鎮座していたらしく、古くから古宮と言い社殿の跡らしきところがあり、水田の所々に古木の切株が埋もれていました。またその地には、神社の跡を記す大きな石碑もありました。
以後は平成30年まで、下記の通り約450年に亘り大嶌家により宮司職が継承されます。
初代 大嶌彌右衛門胤為 天正年中社職、寛永3年3月23日没
二代 大嶌彌右衛門種吉 寛永4年4月襲職、元禄2年1月18日没
三代 大嶌五左エ門胤善 元禄3年3月襲職、正徳2年12月29日没
四代 大嶌五左衛門胤行 正徳4年2月襲職、享保2年7月21日没
五代 大嶌彌右衛門胤次 享保13年8月襲職、寶暦9年2月3日没
六代 大嶌主計胤好 明和4年9月襲職、天明6年9月11日没
七代 大嶌主膳種之 天明8年1月襲職、文政5年9月没
八代 大嶌筑後正好之 天保8年4月3日没
九代 大嶌加賀正種之 明治21年3月21日没
十代 大嶌圭吾種盈 大正13年4月退職、同年11月6日没
十一代 大嶌桂胤臣 大正13年4月8日社掌拝命、昭和55年7月7日没
十二代 大嶌郁雄 昭和54年5月28日就任、平成30年12月31日退任
また、社殿の建立、改修歴は以下のように記録されています。
貞享2年巳之卯月吉日 拝殿修復
享保7年 拝殿修復
寶暦7年干巳二月吉日 本殿再建
寶暦10年辰9月 拝殿瓦葺
安永5年丙申3月8日 奉遷宮神明御寶殿
寛政11年巳未4月7日 神明神社修復
文化13年 神明神社修復
文政5年9月 鳥居改修、拝殿修理
天保6乙未9月15日 外宮葺替
明治3年 両社葺替
明治15年12月16日 両社神明神社改築
明治21年5月 両社葺替
明治24年9月 拝殿修復
明治28年11月28日 常夜灯建立(二基)
明治32年6月14日 両社修復
明治33年9月12日 鳥居建替
大正2年3月 鳥居建替(石鳥居)
大正3年12月25日 拝殿改築
昭和3年 両社神明宮本殿改造模様替、祭文殿改築
昭和9年3月30日 本殿祭文殿改築
昭和43年11月29日 神明神社本殿改築
昭和45年6月 社務所建立
平成4年6月21日 本殿内陣(御簾)模様替
明治以降の記録に見える「両社」は、戦前は当神社の事をその様に呼称していたようで、昭和31年奉納の祭礼幟にも、その様な表記が見られます。
年中祭事
1月1日 歳旦祭
5月黄金週間最終日 祈年祭
6月第2日曜日 茅の輪くぐり
10月第2日曜日 例祭
11月23日 新嘗祭
アクセス
春日井市出川町1丁目1番地
県道508号内津勝川線沿い、モスバーガー春日井出川店とファミリーマート春日井松本町店の間にある木々に囲まれた場所です。神社南面が駐車場になります。